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比嘉一貴の妻や実家の家族|沖縄出身プロの賞金王までの道のり

男子プロゴルファーを支える家族と軌跡をご紹介 男子プロゴルファー
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比嘉一貴(ひが かずき)選手は2022年の賞金ランキング1位に輝いている実力派プロゴルファーです。

この記事では比嘉一貴選手の奥様や実家のご両親、ジュニア時代から賞金王獲得までの経歴についてお伝えします。

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比嘉一貴が結婚した妻はどんな人?

国内外で活躍を続けるプロゴルファー比嘉一貴(ひが かずき)選手。そんな彼を陰ながら支えるのが、2020年に結婚した妻・明恵(あきえ)さんです。

明恵さんは比嘉選手より4歳年上。色白で落ち着いた雰囲気のある、品のある女性です。おふたりが出会ったのは大学時代。比嘉選手にとっては、人生で初めての彼女だったそう。そこから約3年半の交際を経て、見事ゴールインしました。

比嘉選手のお母さまは、幼い頃からゴルフ一色だった息子が将来結婚できるのか案じていたとか。だからこそ、「素敵な奥さまがいてくれて安心」と、今はほっと胸をなでおろしているのかもしれませんね。

結婚後、明恵さんはゴルフを始めました。まったくの初心者ながら、比嘉選手が専門用語をやさしくかみ砕いて教えていったそうです。その甲斐あって、たった1年ほどでスコア「92」を出すまでに!運動神経の良さとセンスの持ち主なんでしょうね。

そんな奥さまは「先生がいいからですよ」と笑顔。比嘉選手も「教えることで、自分自身のゴルフにもプラスになっている」と語っており、お互いを思いやる様子が伝わってきます。

あたたかいご夫婦の姿に、ほっこりしますね。

子供は何人?

現在のところ、比嘉一貴選手と奥さまの間にお子さんがいるという情報は、公式には発表されていません。また、報道などでも特に確認はされていないようです。

今は夫婦の時間を大切に過ごされているのかもしれませんね。

もし将来、お子さんが誕生したら──比嘉選手の集中力や運動神経、奥様のしなやかな感性を受け継いだ、魅力的なお子さんになるのでは?と想像してしまいます。

そんな未来も、きっと楽しみですね。

比嘉一貴の実家の家族はどんな人?

比嘉一貴(ひが かずき)選手の実家は沖縄県うるま市で、ご家族は5人です。

実家の家族構成
  • 父親 洋さん
  • 母親 恵子さん
  • 長女 彩乃さん(3歳年上の姉)
  • 長男 一貴選手(本人)
  • 次男 祐貴さん(12歳年下の弟)

比嘉一貴(ひが かずき)選手がゴルフをはじめたきっかけは、ゴルフ好きなお父様の影響です。

お父様は会社員です。沖縄から本州や全国大会へ遠征するには、大きな出費が伴いますが、ご両親はできる限りのサポートで比嘉選手を応援し続けました。

少しでも家計の負担を減らしたかった」と、比嘉選手は当時を振り返ります。小学生の頃からひとりで県外遠征に出かけるようになったのも、その思いからでした。

幼いながらに家族を思いやり、自立心を育てたこの経験は、後のプロゴルファーとしての精神力や強さにつながっているのではないでしょうか。

比嘉一貴の出身校|ジュニアゴルファーからプロ転向までの歩み

比嘉一貴(ひが かずき)選手の故郷は、沖縄県うるま市。沖縄本島のほぼ中央、太平洋側に位置する自然豊かな街です。

うるま」という言葉は、沖縄の方言で「サンゴの島」を意味するそう。なんだかロマンチックで、美しい響きですね。

うるま市には、ユネスコ世界遺産にも登録されている歴史ある「勝連城跡」や、洞窟探検・トレッキングが楽しめるアクティブなスポットが点在。さらに、全国でもトップクラスのもずくの生産地としても知られています。

そんな魅力あふれる土地で育った比嘉選手は、どのようなジュニア時代を過ごしたのでしょうか?

出身小学校|うるま市立兼原小学校|ゴルフとの出会い

沖縄県うるま市に生まれた比嘉一貴選手は、自然豊かな高台にある「うるま市立兼原小学校」に通っていました。校舎からは恩納岳や金武湾が一望できるという、美しい環境の中で育った少年時代。

そんな比嘉少年は、ハンドボールや水泳に打ち込む元気いっぱいのスポーツ少年でした。ところが、小学2年生のある日、運命の出会いが訪れます。

ゴルフとの出会いは、父・洋(ひろし)さんに連れられて行った米軍基地内のゴルフ場でのこと。もともとはお父様の友人とのラウンドに同行しただけでしたが、1人欠員が出たため、2番ホールから比嘉選手が急きょ参加。全ホールをティーアップで打つ特別ルールながら、大人顔負けのスコアを叩き出しました。

その時、比嘉少年の中に電流が走ります。

雷に打たれたような衝撃だった」と、本人が振り返るほどのインパクト。ゴルフとの初めての接触が、まさに人生を変えた瞬間でした。

その後もメキメキと頭角を現し、小学4年生でスコア「98」をマーク。帰宅するやいなや、母・恵子さんにこう宣言します。

プロゴルファーになる!

それはただの夢では終わりませんでした。小学生ながらに1日3,000球を打ち込む猛練習が始まり、ひと夏でなんと“シングルプレーヤー”に。父・洋さんは「私は鬼親だった」と語ります。朝は4キロのランニングから始まり、7時には打ちっぱなしへ。夜中12時まで練習が続く日々。まさに寝る時間以外はすべてゴルフ漬けの生活でした。

それでも比嘉選手は、反抗期ひとつなく、素直に練習に打ち込んでいたといいます。その姿からは、子どもとは思えない強い意志と情熱が感じられます。

ちょうどこの頃、テレビでは片山晋呉プロが賞金王として大活躍。画面にくぎ付けになりながら、自分もあの舞台に立ちたい――そんな強い思いが、比嘉選手の胸に芽生えていたのかもしれません。

年度大会名順位
2007全日本小学生ゴルフトーナメント決勝大会🏆優勝🏆
2007沖縄県民ジュニアゴルフ選手権🏆優勝🏆

出身中学|うるま市立具志川中学校|プロを目指して

比嘉一貴選手は地元・沖縄県うるま市にある「うるま市立具志川(ぐしかわ)中学校」へと進学します。中学に入ると、沖縄以外の九州のジュニア大会にも出場するようになります。

当時の比嘉選手は、周囲と比べて背が高いほうだったそうですが、それでも「もっと身長を伸ばしたい」という思いからあらゆる方法を試しました。

毎日欠かさず牛乳を飲み、サプリメントもきちんと摂取。さらに、懸垂を日課にしていたのだとか。逆に、「筋トレをすると身長が止まるらしい」という噂を聞いてからは、筋トレは控えていたそうです。

小さな努力の積み重ねには、プロゴルファーを目指す中学生の真剣な思いが込められています。

自分の将来をしっかり見据えていた――そんな芯の強さが、少年時代の比嘉選手からすでに感じられます。

出身高校|本部高校・ゴルフ部|身長止まりの宣言

比嘉一貴選手は沖縄県内でもゴルフの強豪として知られる「沖縄県立本部(もとぶ)高等学校」へ進みました。

順調にゴルフの道を歩み始めたかに見えた高校2年生のある日、比嘉選手は足を負傷し、母・恵子さんの付き添いで整形外科を受診しました。ところが、精密検査の結果、医師からは思いがけない言葉が――

「身長は止まったでしょう」

まさかの宣告に、比嘉選手も母・恵子さんも言葉を失ったそうです。恵子さんは「あの瞬間のショックは今でも忘れられない」と語っています。

当の比嘉選手も「足の痛みが吹き飛ぶほどショックだった」と振り返っていますが、そのあとの切り替えは見事でした。

それまで「身長を伸ばすために控えていた筋トレ」を即解禁し、体力づくりに一気に舵を切ったのです。

「人一倍、負けず嫌いなんです」――母・恵子さんの言葉には、比嘉選手の芯の強さがにじんでいます。

成長が止まったあとも、比嘉選手は“自分の武器”を磨くことに集中しました。

試合を観戦していると、まわりから聞こえてくるのは「小っさ!」という何気ない声。悪意はないと分かっていても、そのたびにご家族は胸が痛んだといいます。

そんな周囲の反応に対して、比嘉選手はこう語っています。

身長が言い訳にならないゴルフをつくってきた。誰にでもチャンスがあると思ってくれたらうれしいです。

小柄であることを武器に変えた比嘉選手のゴルフは、「体格に悩むすべての人」にとって希望の光です。そして、誰よりも自分に言い訳をしない、その強いメンタルこそが、比嘉一貴というアスリートの真骨頂なのかもしれません。

比嘉真美子プロは2学年上の先輩

比嘉一貴選手の高校には、2学年上に女子プロゴルファーの比嘉真美子選手が在籍していました。同じ「比嘉」姓であることから、「兄妹なの?」と思う方も多いようですが、ご家族ではありません。

比嘉」という名字は、沖縄県ではとても一般的で、県内でも特に多い名字のひとつです。

出身大学|東北福祉大学・ゴルフ部|プロ転向

比嘉一貴選手は東北福祉大学に進学しました。

東北福祉大学ゴルフ部の主な出身プロゴルファー

多くのトッププロを輩出してきたゴルフの強豪校で腕を磨き、2016年には「日本オープン」でローアマチュアを獲得するなど、学生時代からその才能が光っていました。

そして翌年の2017年、大学在学中にプロへと転向。確かな実績と覚悟をもって、プロゴルファーとしての第一歩を踏み出しました。

比嘉一貴の師匠|宮里優

比嘉一貴(ひが かずき)選手のゴルフ人生に欠かせない存在――それが、宮里3兄弟の父・宮里優(まさる)さんです。

高校時代から指導を受けはじめ、現在に至るまで、比嘉選手のプレースタイルや意識の根幹には、優さんの教えが生き続けています。本人も「今でも大切にしている意識やチェックポイントの多くは、優さんに教えていただいたことばかりです」と語り、深い感謝を口にしています。

また、比嘉選手が憧れる存在として挙げるのが、優さんのご子息である宮里優作選手。2017年、宮里優作選手が日本シリーズJTカップを制し、初の賞金王に輝いたときの姿に大きな影響を受けたといいます。

優作さんのように、勝って賞金王になるのが一番カッコいい

そんな理想を胸に、比嘉選手は憧れの背中を追い続け、2022年に賞金王を獲得。男子の沖縄県勢では宮里優作に続き2人目の快挙となります。

比嘉一貴の目標とする人|具志堅用高

比嘉一貴(ひが かずき)選手が目標として名前を挙げるのが、同じ沖縄出身で元プロボクサー・世界王者の具志堅用高(ぐしけん ようこう)さんです。

戦後に、ボクシングで日本全国の人が具志堅さんを応援した。
13連続世界王座防衛など、圧倒的な強さを見せていろんな人に夢を与えた。競技は違いますけど、僕も世界一を目指してたくさんの人に応援してもらえる選手になりたい

スポーツ報知

ちなみに、具志堅用高さんもゴルフ好きとして知られています。比嘉選手と実際に一緒にプレーしたことがあるかどうかは確認できませんでしたが、いつか沖縄の太陽の下で、お二人がラウンドを楽しむ姿を見てみたいものですね。

少し話は逸れますが、具志堅さんといえばトーク番組で「18ホールを最後まで回りきったことがあまりない」とお茶目に語っていたこともありました。忙しくて途中で帰ってしまうことが多く、「スコアもよくわからないんだよね~」と笑いを誘っていたのが印象的です。

比嘉一貴は何回優勝している?

比嘉一貴(ひが かずき)選手のプロ転向後の主な成績をまとめました。

国内ツアーで通算6勝を挙げています。

年度大会名順位賞金金額
2022ダンロップフェニックストーナメント優勝¥40,000,000
2022Shinhan Donghae Open 2022優勝¥23,864,400
2022BMW日本ゴルフツアー選手権森ビルカップ
\メジャー大会優勝/
優勝¥30,000,000
2022関西オープンゴルフ選手権競技優勝¥16,000,000
2021長嶋茂雄INVITATIONALセガサミーカップ優勝¥24,000,000
2019RIZAP KBCオーガスタゴルフトーナメント優勝¥20,000,000

2022年賞金王に

なかでも大きな節目となったのが2022年のシーズンです。この年、比嘉選手はツアー4勝を記録し、初の賞金王に輝きました。

身長158センチと男子ゴルフ界では小柄ながらも、その正確なショットと抜群のメンタルで結果を出し続けた姿に、多くのファンが心を打たれました。

注目されたのは勝利数だけではありません。“最も身長の低い賞金王”という記録は、体格に悩む多くのゴルファーたちに希望を与えるものであり、「身長は言い訳にならない」と語る比嘉選手の姿勢に、勇気づけられた人も多いはずです。

僕が賞金王になったら夢ないですか?」と語っていた比嘉一貴選手。これからも多くの人に挑戦する力を届けてくれることでしょう。

最後に比嘉選手のプロフィールです。

氏名比嘉一貴(Kazuki Higa)
出身地沖縄県・うるま市
生年月日1995年4月23日
身長158cm
血液型B型
ゴルフ歴10歳~(父親の影響)
プロ転向2017年11月11日
趣味ボウリング・ダーツ・サウナ
出典:日本ゴルフツアー機構

比嘉一貴の妻・実家の家族・経歴まとめ

この記事では 比嘉一貴(ひが かずき)選手 について

  • 2020年に結婚。お相手は4歳年上の明恵(あきえ)さん。
  • 沖縄でゴルフに打ち込み、ジュニア時代に才能を開花。
  • その後、名門・東北福祉大学へ進学し、さらに実力を磨く。
  • 大学在学中にプロへ転向。
  • 師匠は、宮里三兄弟の父・宮里優(まさる)氏。
  • 目標とする人物は、沖縄の伝説的ボクサー・具志堅用高さん。
  • 2022年、国内男子ツアー賞金王のタイトルを獲得。

という内容でお届けしました。


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