PR
スポンサーリンク

東尾理子の実家の家族やプロゴルファーとしての経歴

女子プロゴルファーを支える家族と軌跡をご紹介 女子プロゴルファー
このサイトは広告(PR)・スポンサーリンク・アフィリエイトリンクを掲載しています。

東尾理子(ひがしお りこ)さんはプロゴルファーとして活躍され、今ではテレビやゴルフ解説でもおなじみです。俳優・石田純一さんとご結婚され、3人のお子さんのママとしても知られています。

そんな理子さんはどんなご家庭で育ち、どんなふうにゴルフと歩んできたのでしょうか?

この記事では、ご両親との関係やジュニア時代のエピソード、そしてプロとしての軌跡を振り返っていきます。

スポンサーリンク

東尾理子の実家の父親は東尾修

東尾理子さんのお父様は、元プロ野球選手で西武ライオンズの監督も務めた名投手・東尾修(ひがしおお おさむ)さんです。通算251勝を挙げたレジェンドで、豪快な性格と人情味ある人柄で今も多くのファンに愛されています。

理子さんがまだ幼い頃、東尾修さんは現役選手・監督として長年単身赴任をしており、小学校に入る前から約8年間は、年に数回しか会えない生活が続いていたそうです。それでも、理子さんは「子どもの頃からずっと仲良し」と語っており、深い親子の絆が感じられます。

また、プロ野球という勝負の世界で活躍されていたということで厳しいイメージもありそうですが、理子さんは「叱られたことが一度もない」と語ります。

修さんは大のゴルフ好きでもあり、理子さんがプロゴルファーになってからは、キャディを務めたこともあるという微笑ましいエピソードも。

現在は、理子さんの長男の野球の送迎も担当していて、「じいじ」として孫の成長を支えています。まさに、家族を優しく見守る存在です。

プロゴルファーの実家の家族を紹介するイメージ画像
出典:産経新聞

東尾修さんの野球殿堂入りを祝う会での一枚(2010年)

東尾理子の実家の母親は経営者だった

東尾理子さんのお母様は、福岡でクラブを経営していた実業家。華やかな社交の場を切り盛りしながら、家では料理上手で裁縫や編み物も得意だったのだとか。また、人を招くのが大好きで、自宅にはいつもたくさんの人がきていたそう。

理子さんが小学生の頃、父・修さんはプロ野球の現役選手として埼玉へ単身赴任中。母は夜の仕事が多く、家庭では夜に両親が不在になることも少なくありませんでした

しかし、おもてなし好きなお母様のおかげで、日中はご近所さんや友人など、家族以外の誰かがいて食卓はいつもにぎやか。夜はお手伝いさんが相手をしてくれ、寂しさを感じたことはなかったそうです。

そして、理子さんが印象深く語るのが、「母は父の悪口や愚痴を私に一切言わなかった」こと。親子対談でもその姿勢を「本当に偉い」と感謝しており、「それがあったからこそ、父ともずっと仲良くいられるのかも」と語っています。

その話に対する東尾修さんのコメントがまたユニーク。「そりゃあ、オレがいい男だからだよ」と、家族みんなで笑えるエピソードに。こうしたあたたかく、前向きな家庭の雰囲気が、東尾理子さんの社交的で明るい性格を育んだのかもしれませんね。

東尾理子のプロゴルファーとしての経歴

20代から30代前半まで、プロゴルファーとして第一線で活躍していた東尾理子さん。どんなプレイヤー人生を送っていたのか、ちょっとのぞいてみましょう。

生涯累計獲得賞金は?

日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)公式記録によると、東尾理子プロの日本のレギュラーツアーにおける生涯累計獲得賞金は約4,400万円(¥44,006,190)となっています。

この金額は、あくまで日本ツアーでの成績によるもの。

東尾プロは2004年以降、米国女子ツアー(LPGA)にも参戦しており、そちらでの獲得賞金もあるはずですが、当時のアメリカでの詳細な収入額は公表されておらず、正確な金額は確認できませんでした。

さらに、プロゴルファーにとって重要なのがスポンサー収入

東尾プロは、その爽やかな人柄と知名度から複数のスポンサー契約を結んでおり、メディア出演や広告活動などでも活躍。競技以外の分野でも安定した収入を得ていたと考えられます。

東尾プロは、プロゴルファーとしての実績だけでなく、タレント活動や執筆などでも幅広く活躍。その収入源は多岐にわたっており、「プロゴルファー=賞金だけじゃない」ということを教えてくれる存在です。

何回優勝している?プロ転向後の主な成績

東尾理子プロは1999年にプロへ転向し、2011年まで精力的にツアーに参戦しています。

惜しくもツアー優勝には届きませんでしたが、印象に残る活躍をたびたび見せてくれました。

以下に代表的な成績(日本のレギュラーツアー)をまとめました。

年度大会名順位獲得賞金
2004大王製紙エリエールレディス6位T¥2,640,000
2003大王製紙エリエールレディス🥈準優勝🥈¥7,040,000
2001再春館レディース5位T¥2,325,000
2001ダイキンオーキッドレディス5位T¥2,160,000
2000ヴァーナルカップRKBレディース5位T¥3,100,000
出典:日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)公式サイト

特に記憶に残るのは2003年のエリエールレディスオープン

この大会では、後に賞金女王となる「古閑美保(こが みほ)プロ」とのプレーオフに突入。東尾プロはスコア「65」という好成績を記録しながらも、わずかに届かず2位となりました。この試合は、東尾プロの持ち味である安定感と集中力が光った名勝負として語り継がれています。

2004年からは主戦場をアメリカへ移します(米ツアーの成績は調べることができませんでした)。

30代前半まで4年間単身で渡米し、世界に挑戦。

しかし、怪我で身体の故障に悩まされることが多かった東尾プロはコンディションが万全とはいかず、思うような成績が出ない苦しい時期も経験しました。

その後、34歳で「石田純一さん」と結婚。家族との時間を大切にしながらも、しばらくは主催者推薦などでJLPGAツアーにも挑戦しましたが、予選通過は1試合にとどまりました。

2012年以降はツアーから実質的に離れ、現在は3人の子育てに奮闘中。プロゴルファーとしてのキャリアはひと区切りとなっています。

復帰の可能性は?

優勝できていないのが一番の心残り」――そう語る東尾理子プロ。

プロゴルファーとして数々の試合に出場し、多くの経験を重ねてきた東尾プロですが、その言葉からはアスリートとしての芯の強さと、ゴルフへの変わらぬ情熱が伝わってきます。

現在は3人の子育てに奮闘中のママでもある理子さん。いったんツアーからは離れていますが、家庭が一段落したタイミングで、再びクラブを握り、グリーンに戻ってくる――そんな日が訪れるかもしれません。

シニア世代のプロが活躍する「レジェンズツアー(45歳以上の女子プロ対象)」は、再出発を後押ししてくれる舞台として近年注目を集めています。「いずれチャンスが出てきたらチャレンジしたい気持ちもあります」と語る東尾プロ。再び笑顔でティーオフする姿を、多くのファンが心待ちにしていることでしょう。

今後の新たなステージでの活躍にも、ぜひ期待したいですね。

東尾理子の学歴|ジュニアゴルファーからプロ転向までの歩み

東尾理子さんのジュニア時代からプロ転向までの軌跡をたどってみます。

幼い頃から抜群の運動神経を持ち、テニスやスキーなどさまざまなスポーツに親しんでいた理子さん。そんな彼女がゴルフと出会ったのは、ゴルフ好きなご両親の影響がきっかけです。

出身小学校|福岡雙葉小学校|8歳でゴルフをスタート

福岡県出身の東尾理子さんは、福岡市にある私立の名門女子校「福岡雙葉(ふたば)小学校」で学びました。

ゴルフとの出会いは8歳のとき。アマチュアゴルファーとして地元の大会に出場していたお母様の影響で、理子さんも練習場に足を運ぶようになります。

今でこそ、幼稚園児からゴルフクラブを握るジュニア選手も珍しくありませんが、当時としてはかなり早いスタートと言えるでしょう。そんな幼少期の経験が、プロとしての礎を築いていきます。

出身中学|富士見丘中学校|福岡から上京

中学進学を機に、理子さんとお母様は上京します。単身赴任中だったお父様と合流し、家族3人での生活が始まりました。

理子さんが進学したのは、東京都内にある私立の女子中学校「富士見丘中学校」。ゴルフと学業を両立しながら、さまざまな大会にも出場していました。

しかし当時は、「東尾修の娘」という看板が先行してしまうことも多く、たとえ優勝しなくても、理子さんだけがメディアで大きく取り上げられることもありました。そんな状況に、周囲からの妬みや無視といったつらい経験を重ねたといいます。

理子さんはそのとき、「他人の言動は自分ではどうにもできない」と痛感。それならばいっそ、言われないほど上手くなろう――そう覚悟を決め、ゴルフに真摯に向き合うようになります。

同時に、自分の名前に縛られない場所で、実力を試したいという思いも芽生えたようです。のちに彼女がアメリカ留学を決意することになった背景には、この中学時代の経験が深く関係していたのかもしれません。

出身高校|帝京高等学校|ゴルフ部を発足しキャプテンを務める

東尾理子さんが進学したのは、スポーツの名門として知られる東京都内の私立「帝京高等学校」。柔道やサッカーで有名なこの学校には、当時まだゴルフ部が存在していませんでした。

普通なら「外のスクールで練習すればいい」と考えるところですが、理子さんは違いました。なんと、自らゴルフ部を立ち上げてしまったのです。そしてそのままキャプテンを務め、部の中心として活動を牽引していきます。高校時代からすでに、その行動力とリーダーシップが光っていたことが分かりますね。

そんな理子さんが高校2年生で出場した「日本女子アマチュアマッチプレー選手権」で、見事に優勝を果たします。ちなみにこの大会で男子の部を制したのは、後にプロゴルファーとして活躍する「片山晋呉(かたやま しんご)さん」。

理子さんは後に「実力で初めて世の中に名前を伝えていただいた瞬間でした」と語っています。この優勝が大きな転機となり、1994年には日本代表「ナショナルチーム」の一員として選抜されることになります。

高校時代の主な成績

年度大会名順位
1992年(高校2年)日本女子アマチュアマッチプレー選手権🏆優勝🏆
1993年(高校3年)全日本高校選手権🏆優勝🏆

出身大学|日本大学中退|全米女子アマチュア選手権ベスト8入り

高校卒業後、東尾理子さんは「日本大学」へと進学します。

1994年に出場した「全米女子アマチュア選手権」では堂々のベスト8入り。世界の舞台で確かな実力を証明し、国内外から注目を集める存在となりました。

その活躍がアメリカ・フロリダ大学の関係者の目に留まり、ゴルフの実力を評価されて奨学金付きでの留学が決定。本場アメリカでゴルフと学業の両立という新たな挑戦がスタートします。

出身大学|米・フロリダ大学|4年生でプロになることを決意

1995年、東尾理子さんはアメリカ・フロリダ大学へ留学

理子さんが専攻したのは「心理学」。人の考え方やカウンセリングに興味をもったのだそうです。

優秀な学生が集まる中、彼女は「勉強が忙しすぎて、ゴルフがむしろ息抜きだった」と語るほど、学業に力を注いでいました。

その成果はしっかりと形に表れます。

スポーツの優秀選手に贈られる「オールアメリカン」、学業成績の優秀者に贈られる「アカデミック・オールアメリカン」、そしてゴルフと学業の両方を高く評価された学生に贈られる「ダイナショア・アワード」――アメリカ人でも受賞するのが難しい3つの栄誉を手にしたのです。

当初は大学院進学も検討していた理子さんでしたが、4年生のとき、心に芽生えた思いが理子さんの進路を変えます。

自分がどこまでゴルフで通用するのか、挑戦してみたい」。そうしてプロゴルファーの世界へと歩み出す決意を固めました。

大学時代の主な成績

年度大会名順位
1996 サントラスト・レディーゲーターオープン🏆優勝🏆
1996フロリダステート・カレッジエイト🏆優勝🏆
1996レディー・パラディン・インビテーショナル🏆優勝🏆
1999フロリダ ステート・カレッジエイト🏆優勝🏆
1999SNETクラシック (米国フューチャーズツアー)🏆優勝🏆

プロテスト一発合格

1999年8月、東尾理子さんは日本のプロテストを受けて、一発合格を果たしました。

東尾修の娘がプロに」とすぐにメディアでも大きく取り上げられましたが、本人の気持ちは以前とは少し違っていたようです。

「もうそのときは、以前とは違う気持ちでしたよ」と語る理子さん。“親の名前に頼らず、自分の力で認められたい”という思いが強くなっていたといいます。

これまでの経歴をたどってみると、理子さんがどうして前向きで努力家なのか、自然と伝わってきますね。

東尾理子の実家の家族・経歴まとめ

この記事では 東尾理子さん について

  • お父様は元プロ野球選手の「東尾修さん」。
  • お母様はクラブ経営の経験があり、大会に出場していたほどのゴルフ好き
  • 両親の影響で8歳からゴルフを始め、高校時代にその才能が花開く。
  • フロリダ大学へゴルフ留学し、帰国後にはプロテストを一発合格で突破。
  • 日本のレギュラーツアーでの生涯獲得賞金は約4,400万円
  • プロとして優勝経験はないものの、今後ママゴルファーとしての復帰が期待されています。

という内容でお届けしました。

幼少期から行動力とチャレンジ精神あふれる東尾理子さん。今後のご活躍が楽しみです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました