大槻智春(おおつき・ともはる)選手は、独特のスタイルと実力を兼ね備えたプロゴルファーです。
彼をプロの世界へと導いた父親の存在や、ゴルフとの関わり、さらにはプライベートについて見ていきましょう。
大槻智春の実家の父親は精肉店を経営
大槻智春(おおつきともはる)選手の父・隆さんは、茨城県で精肉店を経営しています。また、ゴルフの腕前もシングルハンデの実力者です。
大槻智春選手がゴルフを始めたきっかけも、父・隆さんの影響でした。幼少期から厳しい指導を受け、試合後に千球を打たされることもあったといいます。
隆さんは自ら「スパルタ」を自認しており、大槻選手も「昔から親父は怖すぎて・・・」と述べるほど。
高校3年の「日本ジュニア選手権」では、石川遼選手に敗れた際に「もうゴルフを辞めさせる」と父が厳しく叱責したことも。しかし、その後、観客の中に大槻選手のサインを求める人がいたことに感動し、「嬉しくて泣いてしまった、やっぱり息子にゴルフを続けさせよう!」と、再び息子のプロ入りを後押しする決意を固めたそうです。
また、大槻智春選手と日大の同級生である小平智選手とは家族ぐるみの付き合いがあり、お互いの父親同士も親交があります。小平選手の父は「成績で叱ったことはない」と話しており、大槻選手は「そんな父親が羨ましかった」と冗談交じりに語っています。
父親 隆さん(精肉店経営)
母親 佳江さん
長女
長男 智之さん(小学5年生の時に病気で他界)
次男 智春選手(本人)
大槻智春選手は、亡くなった兄・智之さんの名前の一部を受け継ぎ、「智春」と名付けられました。ご両親は兄の話を大槻選手にも伝えており、彼は7歳からゴルフを始め、父親の期待に応えようと努力を続けてきたそうです。
大槻智春に結婚や彼女の情報は?
大槻智春(おおつきともはる)選手ですが、結婚や交際に関する公の情報は確認されていません。SNSなどでもプライベートについての発信は控えめなようです。
プロゴルファーは競技に集中するため、公の場で私生活について多くを語らない選手も少なくありません。大槻選手も、まずは競技に専念したいと考えているのかもしれませんね。
大槻智春のプライベート|オフの日の過ごし方
大槻選手はオフの日はゴルフから離れ、自分の時間を大切にしています。
買い物やカフェでのんびり過ごし、夜はお酒を楽しむことも多いそうです。オン・オフの切り替えを大事にしながら、長く競技生活を続けられるよう工夫しているのでしょう。
今後、大槻選手自身が結婚や交際について公表する日が来るのか、引き続き注目したいですね。
大槻智春の出身地とゴルフをはじめたきっかけ
大槻智春(おおつきともはる)選手は茨城県神栖市(かみすし)出身のプロゴルファーです。
神栖市はJリーグ「鹿島アントラーズ」のホームタウンとしても知られる地域。そんな環境で育った大槻選手が、どのようにしてプロの道へ進んだのかを見ていきましょう。
幼少期|ゴルフとの出会い
大槻選手は幼少期、サッカーに興味を持ち、小学校ではサッカー部に所属していました。しかし、父・隆さんの勧めもあり、サッカーと同時にゴルフも始めることになります。
7歳の頃からゴルフクラブを握り、最初は自宅の倉庫にネットを張って練習をしていたそうです。小学校低学年でコースデビューし、毎日のように練習場へ通う日々を送りました。
ジュニア時代は「逆らえないほど父が厳しかった」と振り返る大槻選手ですが、その環境の中で着実に実力をつけていきます。
大槻智春の学歴|ジュニアゴルファーからプロ転向までの歩み
出身中学|神栖第四中学校|神栖第四中学校でジュニア大会優勝
大槻智春(おおつきともはる)選手は地元・茨城県の神栖第四中学校に進学しました。
中学時代から頭角を現し、以下のような実績を残しています。
中学時代の主な成績
年度 | 大会名 | 順位 |
---|---|---|
2004 | 関東中学校選手権 | 2位 |
2004 | 千葉県ジュニアゴルフ選手権 | 🏆優勝🏆 |
中学卒業後、ゴルフ部のある高校へ進学しました。
出身高校|鹿島学園高等学校|さらなる成長
高校は茨城県の鹿島学園高等学校へ進学。スポーツが盛んなこの学校で、ゴルフ部に所属しながら全国レベルの大会で好成績を収めます。
高校は全寮制でしたが、大槻選手自身の希望で寮生活を選択。父・隆さんは実家を離れて大丈夫なのかと心配なさったそうですが、親元を離れ、ゴルフに打ち込む環境を整えました。
高校時代の主な成績
年度 | 大会名 | 順位 |
---|---|---|
2005 | 関東ジュニア選手権 | 2位 |
2006 | 秋東関東大会 | 🏆優勝🏆 |
2006 | 茨木アマチュア選手権 | 2位 |
2006 | SOTツアー | 🏆優勝🏆 |
2006 | 日本ジュニアゴルフ選手権競技男子15歳~17歳の部 | 3位 |
2007 | 関東ジュニアゴルフ選手権 | 🏆優勝🏆 |
2007 | 茨城県アマチュアゴルフ選手権 | 🏆優勝🏆 |
出身大学|日本大学に進学するもプロを目指し中退
高校卒業後、大槻智春(おおつきともはる)選手は日本大学へ進学。ゴルフ部の寮で生活しながら競技を続けました。

大学の同期には小平智選手が在籍しており、互いの家を行き来するほどの仲だったといいます。また、目標とする選手に片山晋呉プロの名を挙げていますが、片山プロも日大ゴルフ部の卒業生です。
しかし、2010年にプロ転向を決意し、大学を2年で中退。
周囲からは「卒業してからでも遅くない」との声もありましたが、「意識がプロに向いていた」として、自らの意思で中退を決断しました。
大槻智春の主な成績|9年目で念願のツアー初優勝
2010年にプロ入りした大槻智春(おおつきともはる)選手は、しばらく苦しい時期が続きました。
しかし、着実に実力を積み重ね、2019年についにツアー初優勝を果たします。
年度 | 大会名 | 順位 |
---|---|---|
2023 | パナソニックオープン | 🏆優勝🏆 |
2022 | ANAオープン | 🏆優勝🏆 |
2019 | 関西オープンゴルフ選手権競技 \ツアー初優勝/ | 🏆優勝🏆 |
2019年の初優勝時、父・隆さんは「最高の息子です。生涯で一番うれしい瞬間だった」と喜びを語りました。
父の厳しい指導のもとで鍛えられた大槻選手は、プロ転向後も努力を続け、ついにその成果を実らせたのです。
大槻智春のwiki風プロフィール
大槻智春(おおつきともはる)選手のプロフィールです。
- 氏名 / 大槻智春(Tomoharu Otsuki)
- 出身地 / 茨城県・神栖市(かみすし)
- 生年月日 / 1990年1月26日
- 身長 / 172cm
- 血液型 / A型
- 所属 / 真清創設
- ゴルフ歴 / 7歳~(父親の影響)
- プロ転向 / 2010年11月25日
- 趣味 / スポーツ観戦
📌プロフィールは 日本ゴルフツアー機構 を参考にしています📌
大槻智春選手の好きな色は、落ち着きと知性を感じさせる「紺色」。
実は、大切な試合の日には紺色のパンツを履くことが多く、選手本人にとっての“勝負服”になっているのだそうです。
試合中のファッションにも注目してみると、これまでとは少し違った楽しみ方ができるかもしれませんね。もしかしたら、「今日は紺のパンツだから気合が入ってるかも…!」なんて想像しながら観戦するのもアリですね♩
大槻智春の実家の家族・経歴まとめ
この記事では大槻智春(おおつき ともはる)選手について
- 父は経営者。スパルタ教育で大槻智春選手をプロゴルファーに育てました。
- ゴルフで活躍していた兄がおり(11歳で他界)、父の思いに応えようとゴルフに打ち込んできました。
- 2019年の関西オープンで悲願の初優勝を果たしました。
- その後もツアー優勝を重ね、国内男子ゴルフ界で活躍を続けています。
ということについてお伝えしました。
大槻智春選手の目標であり、日本大学の先輩でもある「片山晋呉(かたやましんご)プロ」がどんな人なのか気になる方はこちらをどうぞ。
コメント