片山晋呉(かたやま しんご)プロは国内ツアー5度の賞金王に輝いたトップゴルファー です。
トレードマークのテンガロンハットをかぶり、個性的なプレースタイルで多くのファンを魅了しました。そんな片山プロは、どのようにしてプロゴルファーとして成功を収めたのでしょうか?
この記事では、実家の家族構成やゴルフを始めたきっかけ、出身校、プロ転向後の経歴、そして獲得賞金まで、片山晋呉プロの歩みをご紹介します。
片山晋呉の実家の家族
片山晋呉(かたやま しんご)プロの実家は、茨城県筑西市(旧・下館市)。父親がゴルフ練習場を経営していたこともあり、幼い頃からゴルフが身近な環境で育ちました。
家族構成は、父・母・妹の4人です。
- 父親 ゴルフ練習場を経営・元棒高跳びの国体選手
- 母親
- 長男 晋呉プロ(本人)
- 長女 プロゴルファー
お父様の太平さんは1997年6月、肝臓がんで他界されています(享年53)。プロ転向から2年、片山プロが初勝利を挙げる1年前のことでした。
泣いている母と妹の姿を見て、片山プロは「自分が家族を支えていかなければ」と決意。胸部椎間板ヘルニアの手術を乗り越え、初勝利を掴んだのです。
「ゴルフ練習場を経営=裕福」と思われがちですが、実際はそうではなかったそうです。高校の遠征費用は母・節子さんの内職で工面し、大学の試合も両親が借金をして出場させてくれたのだとか。
現在、5度の賞金王に輝いた片山プロですが、幼少期は決して恵まれた環境ではなかったことがわかります。両親の支えに感謝しているそうです。
妹はプロゴルファーの片山真里
2020年ゴルフ日本シリーズJTカップにて真里さんをキャディに参加した片山プロ
出典:ゴルフダイジェスト
妹の「片山真里(かたやま まり)さん」もプロゴルファーです。
- 生年月日 / 1975年8月6日(片山晋呉プロより2歳下)
- 出身校 / 作新学院(栃木県)
- プロ転向 / 2001年9月1日
- ゴルフ歴 / 16歳~
- 師弟関係 / 片山晋呉
- 生涯獲得賞金 / ¥24,748,055
試合では、兄・片山プロのキャディを務めたこともあります。
片山晋呉の生涯獲得賞金|22億円を突破
片山晋呉(かたやま しんご)プロは国内ツアーで5度の賞金王に輝き、生涯獲得賞金はなんと22億円を突破。これは、ジャンボ尾崎プロに次ぐ歴代2位という輝かしい記録です。
さらに「賞金王5回」という偉業も、ジャンボ尾崎プロの「12回」に続く歴代2位。いかに長きにわたって安定した強さを発揮してきたかが分かりますね。
現在はシニアツアーにも参戦しており、ベテランならではの技術と経験で、後進の手本となりながら戦い続けています。「記録の更新」だけでなく、片山プロがこれからどんなプレーで観客を魅了してくれるのか、多くのファンが注目しています。
国内男子ツアー生涯獲得賞金ランキング(2024年時点)
1位 | 尾崎将司 | 26億8883万6653円 |
2位 | 片山晋呉 | 22億8576万0451円 |
3位 | 谷口徹 | 16億6652万2661円 |
4位 | 中嶋常幸 | 16億6495万3541円 |
5位 | 尾崎直道 | 16億6495万3541円 |
片山晋呉は永久シード選手
片山プロは 史上3番目の若さでツアー25勝 を達成し、 永久シード権 を獲得しています。
永久シード権とはプロゴルフツアー公認試合に出場する権利を 半永久的に保証 する制度。日本男子レギュラーツアーの場合、 25勝以上 した選手に与えられます。
日本男子ゴルフの永久シード獲得者
- 青木功(51勝)
- 尾崎将司(94勝)
- 中嶋常幸(48勝)
- 杉原輝雄(28勝)
- 倉本昌弘(30勝)
- 尾崎直道(32勝)
- 片山晋呉(31勝)
プロゴルファーは賞金で生計を立てているため、 シード権の有無は死活問題。
賞金ランキング 70位以内 に入ればシード権を得られますが、それを逃すと試合に出られない可能性も。
「永久シード」は ゴルフ界のレジェンドの証 ともいえる権利なのです。
片山晋呉の現在の活動は?
現在、片山晋呉(かたやましんご)プロは 国内シニアツアーに参戦 しています。
シニアツアーでの活躍
2024年、栃木県で開催された 「すまいーだカップ・シニア」 で優勝。シニアツアー2年目・11試合目での初優勝となりました。
その他の活動
片山プロは競技以外の場でも精力的に活動しています。
- YouTubeチャンネル「45 GOLF」 を開設
- オンラインサロン「45GOLF」 を主宰
「45」という数字は、自身の名前 「晋呉(しんご)」 にちなんだもの。
また、収益を活用し 「遠征に行きたくても行けないジュニアゴルファーのためのファンド」 を作ることを目標としているそうです。
自身が遠征費に苦労した経験があるからこそ、次世代のゴルファーをサポートしたいという思いがあるのでしょう。
片山晋呉の学歴|ジュニアゴルファーからプロ転向までの歩み
茨城県筑西市(旧・下館市)出身の片山晋呉(かたやましんご)プロがゴルフを始めたのは、わずか2歳のとき。父親が経営するゴルフ練習場が自宅の目の前にあり、そこで自然とゴルフに親しんでいきました。遊び場が練習場だったため、家にいるよりも外でクラブを振る時間のほうが長かったそうです。
ラウンドデビューは5歳。幼少期からゴルフに触れ続けた環境が、後のプロゴルファーとしての土台を築きました。
また、父・太平さんは 元・棒高跳びの国体選手 で、1964年の東京オリンピックでは聖火ランナーを務めた経験もあります。そのため、幼少期の片山晋呉プロには 毎晩30分のストレッチ を課し、体の柔軟性を養わせていました。その結果、片山プロは Y字バランス ができるほどの柔軟性を身につけたそうです。
小学生時代|いじめを受けた過去
5度の賞金王に輝いた片山晋呉プロですが、小学校2年生のときにいじめを受け、登校拒否になった過去があるそうです。
クラス替え後も学校へ行くのが怖くなり、一人で登校できない状況に。そんな息子のために、母・節子さんは毎日教室まで付き添い、授業を受けられるようにサポートしました。
片山プロは当時を振り返り、「両親にたくさん迷惑をかけてしまった」と話しています。しかし、親に悩みを打ち明けられたことが、彼にとって大きな救いだったのかもしれませんね。
2016年リオ五輪ゴルフの男子代表として現地へ出発した時の親子ショット
出典:デイリースポーツ
出身中学|筑西市立下館南中学校
片山晋呉プロの出身中学は「筑西市立下館南中学校」(茨城県)です。
中学時代もゴルフに励み、着実に技術を磨いていきました。
中学時代の主な成績
年度 | 大会名 | 順位 |
---|---|---|
1987 | 日本ジュニアゴルフ選手権競技 中学男子 | 12位 |
出身高校|水城高等学校・ゴルフ部|ジャンボ尾崎との出会い
中学卒業後、片山晋呉さんはゴルフの名門「水城(すいじょう)高等学校」に進学しました。
- 所在地:茨城県水戸市
- ゴルフ部のモットー:「練習は試合のように、試合は練習のように」
- 主な卒業生:宮本勝昌、横田真一、永野竜太郎
※水城高校ゴルフ部は、2016年3月に 後継者不足のため廃部 となっています。
意外にも、片山さんは入学当初 プロゴルファーを目指していなかった そうです。「高校で1番になりたい」という気持ちでゴルフに取り組んでいました。
ジャンボ尾崎に指導を受ける
出典:ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)
しかし、高校2年生のときに「尾崎将司(おざき まさし)プロ」から「練習に来い」と声をかけられ、彼の邸宅「ジャンボ邸」で指導を受けることに。
このとき、ジャンボ尾崎プロから「お前は体が小さいし、飛ばせるわけではない。本を読み、頭を使ってゴルフに向き合え」というアドバイスをもらいます。
その言葉を胸に刻み、片山さんは ショートウッドやユーティリティを積極的に活用 するなど、独自のスタイルを確立していきました。
成功の秘訣を本から学ぶ
また、片道 1時間半の通学時間 を活かし、自己啓発の本を読み漁ることで「成功の秘訣」を学んだそうです。
ゴルフ部では、朝・昼・夜の3部練習で約7時間。片山プロは毎朝 5時44分の電車 に乗り、夜遅くまでゴルフ漬けの日々を送っていました。
遠征費用がかさむため、母・節子さんは 内職をして資金を工面。家族の支えがあったからこそ、片山さんはゴルフを続けることができたのです。
出身大学|日本大学・ゴルフ部
高校卒業後、片山晋呉さんはゴルフの強豪「日本大学」に進学しました。
1993年には国内のレギュラーツアー「日本オープンゴルフ選手権」でローアマチュアを獲得し、話題となります。
大学時代の主な成績
年度 | 大会名 | 順位 | |
---|---|---|---|
1993 | アジアンツアー ダンロップオープンゴルフ選手権競技 | 4位 T | ローアマチュア |
1993 | 日本オープンゴルフ選手権競技 | 3位 T | ローアマチュア |
1994 | アジアンツアー ダンロップオープンゴルフ選手権競技 | 35位 T | ローアマチュア |
1994 | 日本学生ゴルフ選手権競技 | 🏆優勝🏆 |
しかし、大学でどれだけ活躍しても アマチュアは賞金を稼げない ため、資金面での負担は大きかったそうです。ご両親は息子のために 借金をして遠征費を捻出 しました。

プロ転向
大学卒業後、片山晋呉さんは1995年にプロテストを受験し見事合格。念願のプロゴルファーとしてのキャリアをスタートさせます。
1995年のプロテストを受験した片山プロ
出典:ゴルフダイジェスト
父・太平さんは当初 プロ転向に反対 していましたが、どんなときも 息子の最大の応援者 でした。
しかし、プロ転向から2年後の1997年6月、太平さんは 肝臓がんで他界。片山プロの 初優勝を見届けることはできませんでした。
片山晋呉は何回優勝している?
片山晋呉プロは国内レギュラーツアーで通算31勝しています。
お父様が他界された翌年(1998年)、片山プロは「サンコーグランドサマーチャンピオンシップ」 でツアー初優勝を達成します。
このとき片山プロは、「父がいたからこそ、今の自分がある」とコメント。家族を支えるために、さらにゴルフに打ち込むことを心に誓いました。
2000年には国内のレギュラーツアー5勝を達成し、初の「賞金王」に輝きます。
出典:日本ゴルフツアー機構
こちらは2001年の「アジアパシフィックオープンゴルフ選手権競技キリンオープン」での優勝時。左から、奥様(当時)、片山晋呉プロ、お母様、妹の真里(まり)さんです。
その後、2004年から3年連続で賞金王に輝く快進撃を見せ、2008年には通算5度目の賞金王を手にするという偉業を成し遂げました。
片山晋呉のwiki風プロフィール
片山晋呉(かたやましんご)プロのプロフィールです。
氏名 | 片山晋呉(Shingo Katayama) |
出身地 | 茨城県筑西市 |
生年月日 | 1973年1月31日 |
身長 | 171cm |
血液型 | B型 |
ゴルフ歴 | 2歳~(父親の影響) |
プロ転向 | 1995年 |
趣味 | スキー、釣り、読書 |
片山プロはトレーニングの一環として 冬はスキー、夏はサーフィン を楽しんでいるそうです。足腰の強化にもつながりそうですね。
片山晋呉の実家の家族・経歴・獲得賞金などまとめ
この記事では片山晋呉(かたやましんご)プロについて
- 片山晋呉プロの実家は茨城県筑西市 で、家族は4人。父はゴルフ練習場を経営していたが、決して裕福な家庭ではなかった。
- 妹・片山真里プロも女子プロゴルファー で、兄のキャディを務めたこともある。
- 国内男子ツアーの生涯獲得賞金ランキング2位。 22億円超えの記録を持つ。
- 史上3番目の若さで永久シード権を獲得。 日本で7人しかいないレジェンドの一人。
- 現在はシニアツアーで活躍中 で、2024年に「すまいーだカップ・シニア」で優勝。
- YouTubeやオンラインサロンを運営し、ジュニアゴルファーの支援も行っている。
という内容をお届けしました。
現在もシニアツアーで活躍する片山晋呉プロ。今後の活躍にも注目です。
片山晋呉プロのプライベートの素顔についてはこちらの記事でお伝えしています👇
高校生でジャンボ尾崎さんの指導を受けた片山晋呉プロ。
ジャンボ軍団男子メンバーについてはこちらの記事でお伝えしています👇
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