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服部道子の夫は医師?子供は?実家の家族や賞金女王の華麗なる経歴

プロゴルファー服部道子の家族や経歴を紹介するアイキャッチイメージ画像 女子プロゴルファー
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女子ゴルフ界のレジェンドとして知られる服部道子(はっとり みちこ)プロ

現在は日本ゴルフ協会の理事を務め、トーナメントの解説や講演、執筆活動など多方面で活躍しています。さらに、東京オリンピック・パリオリンピックではコーチとしても日本代表を支えました。

そんな服部道子プロの夫や子供、実家の家族がどんな人なのか気になりますね。そして、どのようにしてゴルフ界のレジェンドとなったのでしょうか。

これまでの華麗なる経歴を交えながらご紹介します。

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服部道子の夫の職業は医師

選手を紹介するイメージ画像
出典:JGA

服部道子(はっとり みちこ)プロの夫は医師で、2歳年下の男性です。2009年にご結婚されました。

知人の紹介で出会い、初対面から結婚を意識するほど惹かれ合ったのだそう。

結婚当初は大学病院に勤務していましたが、現在は開業している可能性もあります。パートナーの詳しい情報は公表されていませんが、服部プロは「尊敬できて信頼している」と語っています。

また、夫もゴルフをするそうですが、夫婦でラウンドすることは少ないのだとか。

その理由は、「夫のボール探し係になってしまうから」というユーモアあふれるエピソードも。プロゴルファーの妻に勝つのは、なかなか難しそうですね!

服部プロは過去のインタビューで、ゴルフを通じて人間性がよく分かると語っています。

5回デートするよりも1回ゴルフをすると相手のいろんなことが分かると思います。あと、それに、ちょ〜っと勝負をすると、より本性が分かるんですよ。

家庭画報.com

ゴルフ経験者なら、この話に共感する人も多いかもしれませんね。

服部プロは旦那様にも「ちょ〜っと勝負」を挑んだのでしょうか?😊

子供は何人?

服部道子プロは2009年に結婚した後、翌年41歳でツアーを引退しました。

その後、2013年に第一子(男の子)が誕生しています。

お子さんの詳しい情報は公表されていませんが、プロゴルファーの母を持つ息子さんが現在どんなふうに育っているのか気になりますね。

服部道子の実家の家族はどんな人?

服部道子(はっとり みちこ)プロは愛知県出身

家族構成
  • 父親 弘道さん医師
  • 母親 紘子さん:元ゴルフ選手
  • 長女 服部道子プロ:本人

正確な兄弟の人数は明らかにされていませんが、インタビューから少なくとも弟さんと妹さんがいらっしゃるようです。どんなご家族に支えられてプロゴルファーになったのでしょうか。

父親は医師

服部道子プロのお父様「弘道さん」は医師です。

さらに、お母様の父(祖父)も医師という医師一家の出身です。

道子プロの夫も医師なので、ご家族には医療関係者が多いことが分かりますね。

母親は元アマチュアゴルフチャンピオン

道子プロのお母様「紘子さん」はアマチュアゴルファーとして数々の大会で活躍しています。

当時は女性ゴルファーがほとんどいない時代に、なんと大会で男性に交じって優勝するほどの実力者でした。

母・紘子さんの主なゴルフ経歴
  • 1958年(16歳)天皇誕生日杯ゴルフ 優勝
  • 1959年(17歳)愛知カンツリー・クラブ理事長杯ゴルフ 優勝
  • 1962年(20歳)日本女子アマチュア選手権 優勝
  • 1964年(22歳)第1回世界女子アマチュアゴルフチーム 日本代表として海外遠征

特に1959年の理事長杯では240人中唯一の女性として優勝し、注目を浴びています。

服部道子プロがゴルフ界の「サラブレッド」と呼ばれる理由がよく分かりますね。

ただしお母様は子育てや医師の夫を支えることに忙しく、娘の道子さんに直接ゴルフを教えることは少なかったそう。そのため、道子プロは「森 道應(もり みちおう)プロ」に師事し、ゴルフの腕を磨きました。

服部道子の学歴|ジュニアゴルファーからプロ転向までの歩み

幼少期はお父様の仕事の関係でアメリカ・マサチューセッツ州ボストンに住んでいたという服部道子(はっとりみちこ)プロ。どのようにしてプロゴルファーになったのかを見ていきましょう。

小学生|祖父のすすめと憧れのナンシー・ロペス

選手の幼少期を紹介するイメージ画像
出典:家庭画報

アメリカでの生活を終えて日本に戻った服部道子さんは、11歳でゴルフをスタートします。きっかけは祖父の「ゴルフは家族みんなで楽しめるから、やってみない?」という一言でした。

幼少期は体が弱く、激しいスポーツは難しいと感じていた道子さんにとって、「これならできるかもしれない」と思えたのがゴルフでした。

さらに幼い頃、彼女の心を大きく動かしたのが米女子ゴルフ界のスーパースター「ナンシー・ロペス」。試合を観戦したとき、その堂々とした姿に「なんて素敵でカッコいいんだろう」と憧れを抱き、「自分もプロゴルファーになりたい」という夢を持つようになりました。

ナンシー・ロペスは、メジャー3勝を含む通算48勝を挙げた伝説的プレーヤー。出産後もツアーで戦い続けたことから、「ママさんゴルファー」の先駆けとしても知られています。その存在は、幼い服部道子さんにとって未来への道しるべとなったのです。

中学時代|ジュニア大会に出場

幼少期は体が弱かった服部道子さんですが、中学に上がる頃にはすっかりたくましく成長し、ゴルフだけでなくバスケットボールや陸上競技など、さまざまなスポーツに打ち込む活発な少女になっていました。

とはいえ、当時の彼女にとってゴルフはそれほど魅力的ではなかったそうです。その理由は「一緒に楽しむ友達がいなかったから」。練習よりも遊びを優先することも多く、ゴルフにのめり込む姿はまだありませんでした。

そんな服部さんの意識を大きく変えたのが、中学1年生で出場したジュニア大会。そこではじめて同世代の女子選手たちと出会い、互いに競い合う喜びを体験します。この瞬間から「ゴルフって面白い」と感じるようになり、服部さんのゴルフ人生は本格的に動き出しました。

出身高校|愛知・淑徳高等学校|天才少女、世界へ羽ばたく

服部道子さんは愛知県の「淑徳高等学校」に進学しました。ここで、日本ゴルフ史に残る偉業を次々と成し遂げます。

高校1年|「日本女子アマ選手権」史上最年少で優勝

選手の幼少期を紹介するイメージ画像
出典:JGA

📌 1984年(高校1年)
「日本女子アマ選手権」史上最年少優勝(15歳9ヶ月)

服部道子さんが初めて大きな注目を集めたのは、1984年に山口県の「周南カントリー倶楽部」で行われた「日本女子アマ選手権」でした。

当時わずか15歳288日という若さで優勝し、史上最年少チャンピオンに輝いたのです。

さらに素敵なのは、お母様の紘子さんも1962年に同大会を制していること。母娘で日本女子アマの頂点に立つという、大会史上初めての「親子チャンピオン」が誕生しました。

その勢いのまま、翌年の「日本女子アマ選手権」でも見事に連覇。

最年少優勝の記録は、2004年に「宮里美香(みやざとみか)プロ」が更新するまで、なんと20年間も道子さんの名とともに輝き続けました。

高校2年|「全米女子アマ」史上最年少で日本人初優勝

全米女子アマ選手権で優勝したときのイメージ画像
出典:ゴルフダイジェスト・オンライン

📌 1985年(高校2年)
「全米女子アマ選手権」史上最年少で日本人初優勝(16歳11ヶ月)

服部道子さんは1985年、アメリカの「全米女子アマ選手権」で優勝を果たします。

当時はまだインターネットもスマホもない時代。そんな中、女子高生が単身渡米し、アメリカの大舞台で優勝を果たしたのです。史上最年少で日本とアメリカのアマチュア大会を制した服部さんは「天才少女」と話題に。

そのインパクトは絶大で、日本に帰国した際には成田空港に大勢の報道陣が集まり、なんと「NHK紅白歌合戦」にも審査員として出演するほどの話題になりました。

ちなみに全米女子アマ優勝後の帰りの飛行機はエコノミーではなく、ファーストクラスに格上げされていたそうです。✈️

出身大学|アメリカ・テキサス大学|文武両道を極める

高校卒業後、服部道子さんはアメリカの「テキサス大学オースティン校」に進学しました。

ここで彼女は「日本人の少ない環境に身を置くことで、自分に甘えないようにしよう」と考え、異国の地で学業とゴルフの両立に励みました。

大学時代の主な実績
  • NCAAリーグで通算10勝
  • オールアメリカン・ファーストチームに4度選出
  • 文武両道の学生に贈られる「マリリン・スミス賞」を受賞

1991年、道子さんは国際経営学部を卒業し帰国します。

この頃はゴルフ以外の道も考えていたそうです。

プロ転向|母の一言がすべてを決めた

帰国後の服部道子さんは「国際経営学を活かして商社に就職しようかな」と将来を思い描いていました。ところがここで、お母様が娘に内緒でプロテストの申込書を提出するという、まさかの行動に。

突然の出来事に、道子さんもびっくり。しかし、母の決定は絶対だったのか、彼女は「親が言うなら仕方ないか…」と受験を決意。

そして結果は…🎉 見事トップ合格 🎉

ただ、すべてが順調に進みすぎていたため、道子さんの胸には不安もありました。「思っていたのと違う方向に進んでいく怖さ」を感じた彼女は、母にこう打ち明けます。「実は、ゴルフはあまり好きじゃない…

すると、お母様の答えはこうでした。

好きか嫌いかは数年じゃわからない。10年やってから決めなさい

この言葉を受け、服部道子さんは「じゃあ、10歳から始めたから20歳までは頑張ってみよう」そう決意し、プロとしての道を歩き出したのです。

そして今では、「ゴルフを続けて本当によかった」と心から感謝しているそうです。

服部道子は何回優勝している?1998年に賞金女王を獲得

プロゴルファーの服部道子(はっとり みちこ)さんは、日本女子ゴルフ界を代表する存在のひとり。国内ツアーで通算18勝を誇る実力者です。

1991年にプロへ転向すると、翌年にはパーオン率第1位という快挙を成し遂げ「新人賞」を獲得。さらに2年目の「ミズノオープン」で早くも初優勝を飾りました。

そして1998年にはシーズン5勝をあげ、見事「賞金女王」に輝きます。

加えて国内メジャーでも「日本女子オープン2勝、「日本女子プロ選手権1勝と、計3度のビッグタイトルを手にするなど、輝かしいキャリアを築き上げました。

生涯獲得賞金は?

日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の公式記録によると、服部道子プロの生涯獲得賞金は 6億9,852万2,884円 にのぼります。

女子プロゴルフ界の中でも屈指の実績であり、これは数々の優勝や安定した成績を積み重ねてきた証しともいえるでしょう。まさに「長く第一線で活躍した選手」だからこそ残せた数字です。

さらに、2007年には「アサヒ飲料」とスポンサー契約を締結。競技成績だけでなく、その人柄や知名度が企業から高く評価されていたことも伝わってきます。

生涯獲得賞金とスポンサー契約の両面から見ても、服部道子プロが女子ゴルフ界においてどれほど大きな存在であったかがわかりますね。

服部道子の現在の活動は?

オリンピック女子ゴルフのコーチを務めた事を紹介するイメージ画像

左から「丸山茂樹プロ」「松山英樹プロ」「星野陸也プロ」「畑岡奈紗プロ」「稲見萌寧プロ」「服部道子プロ」。東京オリンピックでのショットです。

服部道子(はっとり みちこ)プロは東京五輪、パリ五輪で女子日本代表コーチを務め、2022年には日本ゴルフ協会理事、2023年には日本オリンピック協会理事にも就任しました。

さらに2024年には日本ゴルフ協会の常務理事に昇格し、選手育成や指導者養成の組織改革に注力しています。

2019年東京オリンピック ゴルフ日本代表女子コーチ就任
2022年日本ゴルフ協会(JGA)理事就任
2023年日本オリンピック委員会(JOC)理事就任
2024年パリオリンピック ゴルフ日本代表女子コーチ就任
2024年上場企業「株式会社交換できるくん」社外取締役就任

そんな服部プロが、ゴルフ以外のフィールドでも新たな挑戦を開始。

2024年6月、東証グロース上場企業「株式会社交換できるくん」の社外取締役(監査等委員)に就任しました。プロゴルファーが上場企業の経営に携わるのは非常に珍しいことです。

服部プロ自身は、「女性初の役員という大役を仰せつかり、光栄であると同時に責任の重大さも感じています」とコメント。

また、「これまでゴルフ選手、コーチ、理事として培ってきた経験と”主婦の視点”を活かして、サービスの普及とスタッフのスキル向上に貢献したい」と語っており、サービス向上や組織力強化への熱意も伝わってきます。

服部道子プロは、ゴルフ界で築いたキャリアを土台に、教育・組織改革への貢献、そして上場企業の取締役としての活躍へと、フィールドを広げている稀有な存在です。まさに、ゴルフ界のレジェンドにふさわしい多方面での活躍ですね✨

2021年には書籍『好転力』を出版しています。

その翌年には、同著の印税3,168,000円を日本ゴルフ協会のジュニア育成事業へ寄付

実は、服部プロは新婚当初からご夫婦で東日本大震災の被災地を支援するなど、長年にわたりチャリティ活動にも力を注いでいらっしゃるのです。

服部道子のwiki風プロフィール

服部道子(はっとり みちこ)プロのプロフィールです。

氏名服部 道子(Michiko Hattori)
出身地愛知県
生年月日1968年9月2日
身長168cm
血液型B型
ゴルフ歴11歳~
プロ転向1991年
趣味スポーツ観戦、読書
座右の銘若い頃:「意思あるところに道あり」
現在:「人間万事塞翁が馬」
参考:日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)

若い頃の服部道子プロを支えたのは「意思あるところに道あり」という力強い言葉。

どんな困難も、強い意志があれば道は開ける——そんな信念を胸に、世界に挑み続けてきました。

そして現在は、「人間万事塞翁が馬」

人生の“良いこと・悪いこと”に一喜一憂するのではなく、すべてを受け入れて前に進む。長年の経験を経てたどり着いた、深い人生観が感じられます。

揺るがぬ意志と、しなやかな受け止め方。この2つの言葉に、服部プロの歩んできた道と人柄があらわれています。

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服部道子の夫・子供・実家の家族・経歴まとめ

この記事では服部道子(はっとりみちこ)プロについて

  • 夫は医師。一児の母。
  • 父・祖父が医師のエリート家系
  • 母は日本女子アマ優勝経験のある伝説的アマチュアゴルファー
  • 幼少期からゴルフの才能を発揮し、日本&アメリカのアマ大会で最年少優勝
  • プロ転向後も日本女子ゴルフ界のトップ選手として活躍し、1998年に賞金女王を獲得
  • 現在は指導者・ビジネス界でも活躍

という内容をお届けしました。

今後の指導者としての活躍にも注目ですね。


東京五輪、パリ五輪で女子日本代表コーチを務めた服部道子プロですが、男子チームのコーチを務めたのはゴルフ界のレジェンド的存在「丸山 茂樹(まるやま しげき)プロ」。

丸山茂樹プロの実家の家族やゴルフの経歴についてはこちらの記事でお伝えしています👇

丸山茂樹プロの奥様やお子さんについてはこちらの記事でお伝えしています👇

丸山茂樹プロがオーナーを務めるオーガニックカフェについてはこちらの記事でお伝えしています👇

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