松山英樹の実家はゴルフ練習場?父親の職業や家族構成、経歴を徹底解説!

プロゴルファーを支える家族と軌跡をご紹介 男子プロゴルファー

松山英樹(まつやま ひでき)選手は、日本を代表するプロゴルファーの一人。2021年の「マスターズ・トーナメント」では日本人として初の優勝を果たし、世界にその名を轟かせました。

そんな松山選手ですが、「実家がゴルフ練習場だった」という話を聞いたことはありますか?彼のゴルフ人生の原点ともいえる実家の環境、幼少期から支え続けた父親の職業、家族とのエピソード、そしてプロゴルファーとしての歩みまで、詳しくご紹介します。

松山英樹選手がどのようにして世界トップレベルのゴルファーへと成長したのか、一緒に見ていきましょう!

松山英樹の実家や家族は?父親はトップアマ、兄弟もゴルフ経験者!

父・幹男さんはゴルフ練習場経営者でトップアマ!

松山英樹(まつやまひでき)選手の父親は「幹男さん」。

地元・愛媛県松山市で 「HIDEKI GOLF GARDEN」 を経営しています。このゴルフ練習場は、もともと松山選手が幼少期に通っていた「オーシャンゴルフ」。その後、縁あって幹男さんが経営することになりました。

幹男さんは ハンディキャップ0(ゼロ) のトップアマチュアゴルファー。52歳のときには「日本アマチュア選手権」にも出場しています。

松山幹夫(まつやま・みきお)さんのプロフィール
  • 生年月日 / 1954年4月20日
  • 身長 / 171cm
  • 出身校 / 長崎県立諫早農業高等学校
  • ゴルフをはじめた年齢 / 29歳
  • 目標とする人 / 青木功プロ
2002日本ミッドアマチュアゴルフ選手権競技39位 T
2006四国アマチュアゴルフ選手権競技6位
2006日本アマチュアゴルフ選手権競技CUT 75位 T
2006日本ミッドアマチュアゴルフ選手権競技CUT 74位 T
出典:日本ゴルフ協会(JGA)公式サイト

松山英樹の家族構成|母と兄弟もスポーツ一家!

松山英樹選手の家族は、スポーツ好きの一家。

  • 父・幹男さん …ゴルフ練習場経営、トップアマ
  • …元バレーボール選手
  • 姉・美瑚さん …プロキャディ経験あり
  • …ゴルフ経験者(詳細不明)

特に 姉の美瑚さん は、2011年時点で「エリエールゴルフクラブ」に所属し、プロキャディとして活動していたことが確認されています。妹さんについての詳しい情報は公表されていませんが、兄弟全員がゴルフに親しんでいたようですね。

松山英樹の出身地は愛媛県松山市

松山市といえば、夏目漱石の「坊ちゃん」にも登場する 道後温泉 が有名。地元の名物には 「松山鯛めし」「鍋焼きうどん」 などがあり、松山選手の家でもお祝いごとには伝統料理が振る舞われたかもしれませんね。

松山英樹のゴルフ人生のはじまり|4歳で1,300球?!

松山英樹選手がゴルフを始めたのは 4歳のとき。父・幹男さんが練習場に連れて行ったのがきっかけです。

なんと 初めて練習場で打ったボールの数は1,300球!😲 4歳児にしては驚異的な数ですよね。

ただし、父・幹男さんは「小学校に入るまでは練習場よりも素振りを重視」していたそう。おもちゃにはすぐ飽きるタイプだった松山選手ですが、 ゴルフだけは夢中で続けた そうです。

父の覚悟|ゴルフを極める決意

幹男さんは当初、ゴルフは コンペに誘われたときに行く程度 でした。しかし、息子がゴルフに夢中になる姿を見て「自分もゴルフが上手くなり、素晴らしい世界を見せてあげたい」と決意。

地元の 「北条カントリー倶楽部」 の会員になり、月例や研修会に参加するようになります。そして、松山英樹選手も一緒に連れて行くようになり、 クラブ内で「ゴルフ好きの少年」として有名になっていきました。

その後、松山英樹選手は 8歳でスコア100を切り、10歳で80を切る ほどの実力をつけていきます。まさに幼少期から天才肌だったんですね!

松山英樹の学歴|ジュニアゴルファーからプロ転向まで

出身小学校|松山市立雄郡小学校|父のキャディを務める

松山英樹(まつやまひでき)選手の出身小学校は「松山市立雄郡小学校」です。

幼少期からゴルフに打ち込んでおり、父・幹男さんは自宅の庭にネットを設置し、室内にはパター練習ルームを作るなど、徹底した環境を整えました。

松山選手は、学校から帰ると毎日ゴルフの練習に励み、父のアドバイスを受けながら技術を磨いていました。

さらに、父・幹男さんは練習記録をデータベース化し、幼少期からのスイングの変化を6つの角度から撮影していたそうです。

また、小学4年生のときには、父が出場する「中四国オープン」でキャディを務めるという貴重な経験も積みました。

出身中学|明徳義塾中学校|練習量が歴代トップ

松山英樹選手は、小学6年生まで愛媛県で過ごしましたが、中学2年生のときに高知県の「明徳義塾中学校」へ転校しました。

ゴルフ関係者から「環境が整っている」と勧められたことがきっかけでしたが、父・幹男さんは最初、寮生活に不安を感じていたそうです。しかし、最終的にゴルフ部の高橋章夫監督に預ける決断をしました。

高橋監督によると、松山選手は「練習量が歴代トップ」と言われるほどの努力家で、真面目な性格だったそうです。

中学3年生のとき、松山パパは自身が出場する『日本アマチュア選手権』に息子をキャディとして帯同しました。この大会には、石川遼選手も出場しており、父・幹夫さんは『強い選手がどんなプレーをするのか、どんなメンタルをしているのか、間近で見せたかった』と明かしています。

松山英樹選手は中学生の頃は細身でしたが、高校に入ると体格が大きく変化。地元でとれた魚を骨ごと食べて育ったことが、骨の強さにつながっているのかもしれませんね。

出身高校|明徳義塾高等学校|ナショナルチームに

松山英樹(まつやまひでき)選手は、明徳義塾中学校からそのまま「明徳義塾高等学校」へ進学しました。

松山パパは、時々高知の高校まで足を運び、松山選手のスイングを撮影していたそうです。本当に熱心なパパですよね。

そして松山パパ曰く、『高校2年までは、チーム内にもレベルの高い選手がいて、息子も必死に食らいついていた』そうです。この時期の努力が、後の飛躍につながったのかもしれませんね。

高校時代は全国レベルの選手と競いながら技術を磨き、2年生でナショナルチームに選出。多くの大会で優勝を飾りました。

ナショナルチーム
出典:日本ゴルフ協会(JGA)公式サイト

高校卒業後はプロ転向も考えましたが、東北福祉大学の阿部靖彦監督から「今のままでは並のプロでしかない。もっと練習を積むべき」とスカウトされます。母親の後押しもあり、大学進学を決意しました。

出身大学|東北福祉大学|プロ転向

松山英樹(まつやまひでき)選手は「東北福祉大学」に進学し、本格的なフィジカルトレーニングを開始。監督から「食事量を増やし、体を大きくすること」を求められ、身長180cmながらも体重が約20kg増えました。

東北福祉大学ゴルフ部の主な出身プロゴルファー
出典:ウィキペディア

『ゴルフだけの人間になるな』という監督の指導方針のもと、松山選手を含む部員たちはサッカー、ボウリング、テニスなど、さまざまなスポーツを経験しました。松山選手自身も野球が趣味で、アメリカ滞在中もキャッチボール用のグローブを持ち歩いているのだとか。多彩なスポーツ経験が、松山選手のゴルフにも良い影響を与えているのかもしれませんね。

松山英樹選手は試合経験を積み、数々のタイトルを獲得しました。

大学時代の主な成績

年度大会名順位
2010アジアアマチュア選手権優勝
2010日本オープンゴルフ選手権3位タイローアマチュア
2011三井住友VISA太平洋マスターズ優勝ローアマチュア
2011Masters Tournament27位 タイローアマチュア
2011第26回 ユニバーシアード競技大会 (2011/深圳)優勝
2011日本学生ゴルフ選手権競技優勝
2011アジアアマチュア選手権優勝
2012サン・クロレラクラシック2位タイローアマチュア
2012日本学生ゴルフ選手権競技優勝
2012日本オープンゴルフ選手権競技7位タイローアマチュア
出典:日本ゴルフ協会(JGA)公式サイト

そして大学4年生でプロ転向を決意。アマチュア時代から圧倒的な実力を誇っていた松山選手は、すぐにプロとしても成功を収め、世界の舞台で活躍することになります。

一方で、父・幹男さんとの意見の食い違いが増え、ゴルフのアドバイスもあまり聞かなくなったそうです。父は「遼くん(石川遼選手)は素直にお父さんの言うことを聞いてるようだけど、どうしてるんだろう…」と嘆いていたとか。

松山英樹の主な成績と世界ランキング

松山英樹(まつやまひでき)選手の主な成績をまとめました。

  • 日本 8勝 (国内メジャー 1勝)
  • 米国 9勝 (海外メジャー 1勝)
  • 欧州 2勝

プロ転向後の活躍

松山選手は2013年にプロ転向し、ルーキーイヤーながら国内ツアーで4勝を挙げ、史上最速で年間獲得賞金2億円を突破しました。同年、史上最年少で賞金王に輝くなど、デビューから圧倒的な強さを見せました。

年度大会名順位
2024パリ五輪
\銅メダル/
3位
2021米国マスターズ2021
\アジア人・日本人初となる優勝/
優勝
2014米国ザ・メモリアル・トーナメント
\米ツアー初優勝/
優勝
2013国内カシオワールドオープンゴルフトーナメント優勝
2013国内フジサンケイクラシック優勝
2013国内ダイヤモンドカップゴルフ優勝
2013国内つるやオープンゴルフトーナメント優勝
参考:日本ゴルフツアー機構

米ツアー(PGAツアー)での躍進

松山選手といえば、米ツアーでの活躍が欠かせません。
特に2021年の「マスターズ・トーナメント」優勝は、日本のみならずゴルフ界全体に大きな影響を与えました。

マスターズでの優勝は、
日本人として初
アジア人としても初

という歴史的な快挙です。

この偉業について、タイガー・ウッズは自身のX(旧Twitter)で

ヒデキの歴史的な勝利はゴルフ界全体に衝撃を与えた。君と日本を祝福します

とコメント。世界中から称賛を受けました。

また、ゴルフ界のレジェンド・ジャンボ尾崎さんも

神様は50年に一度すごいことをやらかしてくれるんだな

と驚きを隠せなかったそうです。

男子ゴルフ4大メジャー大会
出典:ウィキペディア

世界ランキングの推移

松山英樹選手の世界ランキング推移をまとめました。

年度世界ランキング賞金ランキング賞金(米ドル)
20246位3位11,257,969
202346位46位3,874,772
202219位12位5,776,298
202115位18位4,963,594
202020位12位3,665,825
201920位23位3,335,137
201823位49位2,315,477
20175位4位8,380,570
20166位9位4,193,954
201515位15位3,758,619
201416位27位2,835,077
201323位
2012128位
出典:ゴルフダイジェスト(GDO)

2013年のプロ転向後、翌年には米ツアーへ本格参戦し、世界のトッププレイヤーの仲間入りを果たしました。

今後のさらなる活躍が期待されます。

松山英樹のwiki風プロフィール

松山英樹(まつやまひでき)選手の基本情報をまとめました。

出身地愛媛県松山市
生年月日1992年2月25日(年齢32歳)
身長180cm
体重90kg
靴のサイズ28.5cm
血液型B型
所属レクサス
ゴルフ歴4歳~(父親の影響でゴルフを始める)
プロ転向2013年
ボールナンバー78(「マスターズ」のエントリー番号に由来)
出典:日本ゴルフツアー機構(JGTO)公式サイト

ボールナンバー「78」に込められた意味

松山英樹選手は、試合で使用するボールに**「78」というナンバーを選んでいます。これは、彼が2021年の「マスターズ・トーナメント」にエントリーした際の番号に由来しており、その時の優勝を記念して特別な意味を持つ数字となりました。松山選手にとって、「マスターズ優勝」という歴史的な瞬間を象徴する番号**なのです。

「基本的に自分中心」とは?

松山英樹選手は、自身のゴルフに対して非常にストイックな姿勢を貫いています。そのため、インタビューなどで「他人のことよりも、自分のことをよく考えるタイプ」と語ることもあります。これは、「自分のプレーに集中し、最大限の結果を追求する」という意味で、決して自己中心的というわけではありません。むしろ、その強いメンタルと自己分析能力が、世界トップクラスのゴルファーとしての活躍につながっているのです。

松山英樹の実家の家族・経歴まとめ

この記事では松山英樹(まつやまひでき)選手について

  • 実家の父親はゴルフ練習場経営者。ゴルフはハンディキャップ0の上級者。
  • 5人家族で姉と妹はキャディの経験者。
  • 4歳からゴルフをはじめ、父と二人三脚でプロゴルファーに成長
  • 2021年のメジャー大会「マスターズ」で優勝。アジア人・日本人初の快挙。

ということについてお伝えしました。


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