ミシェル・ウィーはハワイ出身のプロゴルファーです。
長身を生かしたパワフルなスイングで「女性版タイガー・ウッズ」として注目を集め、数々の大会で活躍しました。2023年にツアーを引退し、現在は家庭を大切にしながらゴルフ界にも関わり続けています。
ここでは、ミシェル・ウィーの生い立ちから現在までの経歴や家族について紹介します。
ミシェル・ウィーの出身地と実家の家族構成
ミシェル・ウィーは1989年10月11日、ハワイ州ホノルルで生まれました。
両親は韓国出身で、父親はハワイ大学の教授、母親はアマチュアゴルファーとして活躍していました。
特に母親は韓国のアマチュア大会で優勝した経験もあり、幼少期からゴルフに触れる環境が整っていたといえます。
ミシェル・ウィーはアメリカと韓国の二重国籍を持っていましたが、2013年にアメリカ国籍を選択しました。
父方の祖父 | サンキュ・ウィ(Sang-Kyu Wie)博士 | 航空工学者・ソウル大学校名誉教授 |
父親 | ビョンウク・ウィーさん | ハワイ大学教授 |
母親 | ボーさん | 元ミスコリア・アマチュアゴルファー |
ミシェル・ウィーの結婚と夫の経歴
ミシェル・ウィーは2019年8月、ジョニー・ウェストさんと結婚しました。
ジョニー・ウェストさんはNBAチーム「ゴールデンステート・ウォリアーズ」の幹部を務めており、元バスケットボール選手でもあります。
また、彼の父親はNBAのレジェンド、ジェリー・ウェストさん。引退後はバスケットボール殿堂入りを果たし、NBAのロゴのモデルともいわれる名選手でした。
夫婦そろってスポーツ界に携わる家庭ということもあり、互いにアスリートとしての経験や苦労を理解し合える関係のようです。
- 生年月日 / 1988年5月18日(ミシェル・ウィーより1歳年上)
- 出身地 / アメリカ・カリフォルニア州
- 出身校 / ウェストバージニア大学
- 身長 / 191cm
ミシェル・ウィーに子供は何人いる?
ミシェル・ウィーは結婚後、ふたりのお子さんに恵まれました。
第一子は2020年6月に、第二子は2024年10月に誕生。SNSでは家族の写真も公開しており、充実した日々を送っている様子が伝わってきます。
トップアスリートから祝福のコメントもたくさん寄せられました。宮里藍選手、横峯さくら選手、ポーラー・クリーマー、ローリー・マキロイなど。
将来、お子さんがスポーツの道に進むのかどうかも楽しみですね。
ミシェル・ウィーのゴルフのあゆみ
ゴルフをはじめたきっかけ
ミシェル・ウィーは4歳のとき、母・ボーさんの影響でゴルフを始めました。父・ビョンウク・ウィーさんが手ほどきをしたとされ、ご両親ともにゴルフの経験があったようです。
幼少期から才能を発揮し、ゴルフを始めてすぐにドライバーで100ヤードを飛ばすほどでした。
また、早くから大会で活躍しています。
10歳 | 全米女子アマチュアパブリックリンクス | 最年少(当時)で出場 |
12歳 | 米女子ツアー | 初参戦 |
13歳 | 全米女子アマパブリックリンクス選手権 | 🏆優勝🏆 |
史上最年少でのプロ転向
2005年、ミシェル・ウィーは16歳の誕生日を迎える6日前にプロ転向を発表しました。当時、史上最年少の女子プロゴルファーとして注目を集めました。
プロ転向の記者会見はホノルルの高級ホテル「ザ・カハラ」(当時カハラ・マンダリン・オリエンタル)で行われ、世界中のメディアが取材に訪れました。
また、ナイキやソニーと推定総額1,000万ドル(約11億円)規模の契約を結び、そのスポンサー契約の大きさも話題になりました。
インタビューでは以下のような目標を語っています。
- 女性として初めてマスターズに出場すること
- 時代の先端を行く存在になること
- 将来的にファッション業界にも関わること
プロ転向後の苦難と復活、ツアーの長期離脱
プロ転向後は順調とはいえず、左手首の故障などで成績が伸び悩む時期がありました。スコアカードの署名忘れによる失格などのミスも重なり、一時は低迷しました。
しかし、2009年に「ロレーナ・オチョア・インビテーショナル」で悲願のツアー初優勝を達成。その後、通算5勝を挙げました。
年度 | 大会名 | 順位 |
---|---|---|
2009年 | ロレーナ・オチョア・インビテーショナル | 優勝 |
2010年 | カナディアン女子オープン | 優勝 |
2014年 | LPGAロッテ選手権 | 優勝 |
2014年 | 全米女子オープン \初のメジャータイトル/ | 優勝 |
2018年 | HSBC女子世界選手権 | 優勝 |
しかし、2019年の「KPMG全米女子プロ」出場後、手首の故障によりツアーから長期離脱しました。
結婚したのはこのあと、2019年8月です。

ミシェル・ウィーが優勝したメジャー大会は「全米女子オープン」です。笹生優花選手が2度優勝を果たした大会でもあります。
ミシェル・ウィーの出身大学「スタンフォード大学」
ミシェル・ウィーは2007年に名門・スタンフォード大学に入学しました。
ゴルフのオフシーズンを活用しながら学業を続け、「コミュニケーション学」を専攻。最終的に学位を取得し、プロゴルファーとして活躍しながら大学卒業も果たしました。
なお、スタンフォード大学はタイガー・ウッズの出身校でもあります。
ミシェル・ウィーの伝説
ミシェル・ウィーは「最も話題にのぼり続けた女子プロゴルファー」といわれています。
日米男子ツアーへの挑戦
ミシェル・ウィーは、男子プロツアーにも挑戦したことで話題になりました。
通常、女子ツアーには女子選手のみが出場できますが、男子ツアーには出場制限がなく、女子選手も参戦できます。
彼女は日米の男子ツアーに3度出場しました。
2004年 | 米国男子ツアー「ソニーオープン」 | 予選落ち(1打差) |
2005年 | 日本男子ツアー「カシオワールドオープン」 | 予選落ち(1打差) |
2006年 | 日本男子ツアー「カシオワールドオープン」 | 予選落ち |
予選突破には至りませんでしたが、男子ツアーに挑戦したこと自体が大きな話題となりました。
日本の選手ですと、宮里藍プロも男子ツアーに出場したことがあります。
ゴルフウェア
ミシェル・ウィーは、個性的なゴルフウェアでも注目を集めました。
特にシンガポールの大会で披露したノースリーブのトップスは賛否が分かれるデザインでしたが、スポンサーとの関係もあり、話題性が高まりました。
パタースタイル
また、彼女の独特なパッティングスタイルも注目されました。背中を大きく曲げたフォームは、一見するとお辞儀をしているようにも見えましたが、視線を地面に近づけることで正確なパッティングを目指した工夫でした。
あまり入らずに悩んでいたとき、身長が低くパターが上手な選手にヒントを得たそうです。
出産後の復帰と引退
手首の故障によりツアーを長期離脱していたミシェル・ウィーは、2019年8月に結婚し、2020年6月に第一子が誕生します。
出産後の復帰
当時、ツアー復帰は難しいと考えられていましたが、出産後に意識が変わります。
「娘にプレーする姿を見せたい」という思いから、産後わずか10日でトレーニングを再開したのです。
インスタグラムでは娘をベビーカーに乗せて練習している姿を投稿しています。
その後、2021年の起亜クラシック(カリフォルニア州)で約1年9ヶ月ぶりにツアー復帰を果たしました。
引退
しかし、2022年の全米女子オープン出場を最後に、現役引退を決断しました。
長年の故障に加え、家庭を優先したいという思いもあったようです。
2023年、ペブルビーチGLでの「全米女子オープン」で正式に引退。
同組には女子プロゴルフ界のスーパースター「アニカ・ソレンスタム」、キャディを務めたのは「夫のジョニーウェストさん」。娘も会場でママを見守りました。
最終18番で9メートルのパットを決め、観客の大歓声を浴びました。
「ラウンド中、ずっと涙をこらえていました」とミシェル・ウィー。
15歳でプロ入りし、多くの記録を打ち立てプレースタイルは多くのファンに愛されました。彼女の挑戦的なスタイルやチャレンジ精神は、多くの人にインスピレーションを与えたに違いありません。彼女の未来に祝福を送ります。
ミシェル・ウィーのwiki風プロフィール
ミシェル・ウィーのプロフィールです。
氏名 | ミシェル・ウィー(Michelle Sung Wie West) |
出身地 | アメリカ・ハワイ州ホノルル |
生年月日 | 1989年10月11日 |
身長 | 185cm |
ゴルフ歴 | 4歳~ |
プロ転向 | 2005年 |
出身校 | スタンフォード大学 |
ミシェル・ウィーは、「プロ生活を続けながらスタンフォード大を卒業したこと」と「全米女子オープンでの優勝」の両方を成し遂げたことを誇りに思っていると語っています。
おわりに
引退後も、ナイキ・オメガ・MGMなどのスポンサーはミシェル・ウィーと契約を継続。特にナイキではブランド開発に関わるなど、新たな分野での活躍が期待されています。
ミシェル・ウィーと同じくスタンフォード大学出身のタイガー・ウッズ。彼の“強さの秘密”は、なんと「潜在意識」にありました。世界の頂点に立つアスリートの、心の持ち方とは?
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