川村昌弘(かわむら まさひろ)選手は世界各国を飛び回りながらプレーする「旅人ゴルファー」として知られるプロゴルファー。彼はどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか?
また、ゴルフツアーを支えるキャディや、ゴルフを始めたきっかけについても紹介します。
川村昌弘のキャディは「坂井恵」
川村昌弘(かわむら まさひろ)選手のエースキャディは、坂井恵(さかい めぐみ)さんです。プロキャディとして豊富な経験を持ち、多くの選手をサポートしてきました。
氏名 | 坂井恵(さかい めぐみ) |
生年月日 | 1978年1月24日 |
出身校 | 九州産業大学 |
坂井恵さんの主なキャディ経験
- 池田勇太プロ
- 薗田峻輔プロ
- 増田伸洋プロ
坂井恵さんはメグさんと呼ばれているそうです。
坂井恵さんは、これまでに池田勇太選手のキャディを務め、ツアー優勝にも貢献した実績があります。国内ツアーだけでなく、海外ツアーにも帯同する経験豊富なキャディです。
また、川村選手のマネージャーである横山さんも、時折キャディを務めることがあります。選手とキャディの連携が、海外転戦を支える重要な要素となっています。
ちなみに、坂井恵さんは川村昌弘選手とのボケ・つっこみもバッチリなんだそうです(笑)。
川村昌弘|世界を転戦する「旅人ゴルファー」としての挑戦
川村昌弘(かわむら まさひろ)選手は、ジュニア時代から海外の試合に出場し、世界各国のコースに魅了されてきました。
特に、フランスやスイスの壮大な景色やコースの魅力に惹かれ、「ゴルフを通じて世界を巡りたい」という思いが強くなったといいます。
プロ転向後の2012年、国内ツアー「パナソニックオープン」で初優勝を飾りました。この勝利をきっかけにアジアンツアーへの道が開け、その後はヨーロッパツアーにも参戦するようになりました。
海外転戦の特徴
- 70カ国以上を訪問しながらプレー
- 日本国内に長期間滞在しないライフスタイル
- 現地の文化や食事を楽しむスタイル
このような独特のスタイルで、世界各地のトーナメントに出場しています。
川村昌弘がゴルフを始めたきっかけ
川村昌弘(かわむら まさひろ)選手がゴルフを始めたのは5歳のとき。父・川村昌之さんが会社の付き合いでゴルフをしており、その練習についていったのがきっかけでした。
初めてクラブを握ったときから、ボールを上手く打てる楽しさを感じ、ゴルフに夢中になったといいます。その後、ジュニア大会で経験を積みながら、着実に実力を伸ばしていきました。
成長するにつれて、父親とのラウンドでも腕前が上回るようになり、プロを目指す道へと進んでいきました。
川村昌弘の出身地
川村昌弘(かわむら まさひろ)選手の出身地は三重県四日市市です。
四日市市は、日本有数の工業都市であり、四日市コンビナートの夜景が美しいことで知られています。特に、船上から眺める「コンビナート夜景クルーズ」は人気の観光スポットです。
また、四日市の名物グルメといえば「四日市とんてき」。厚切りの豚肉に濃厚なソースを絡め、にんにくと千切りキャベツを添えたスタミナ満点の料理です。
川村選手も、地元の味を楽しんだことがあるかもしれませんね。
川村昌弘の学歴|ジュニアゴルファーからプロ転向までの歩み
小学校時代|独学でゴルフを習得
川村昌弘(かわむら まさひろ)選手は、ほぼ独学でゴルフを学びました。
幼少期から練習熱心で、元旦も休まず365日ゴルフの練習を続けていたといいます。父親に強制されることはなく、「もう帰ろう」と言われるまで打ち続けるほどゴルフに夢中だったそうです。
小学4年生の頃からは、パブリックコースで大人と一緒にプレーし、70台のスコアを出していました。当時から並外れた実力を持っていたことがわかります。
幼少期の印象的なエピソード
- 誕生日プレゼントは「ゴルフコースの写真集」
- 卒業文集は「全部自慢」
- 将来の夢は「世界に通用するプロゴルファー」
卒業式で「ぼくは世界に通用するプロゴルファーになります」と宣言し、周囲の大人が驚いたというエピソードも。
しかし、その言葉通りに世界で活躍するプロゴルファーになった川村選手。夢を持ち、それを語り、実現に向けて努力することの大切さを体現していますね。
出身中学|四日市市立港中学校
川村昌弘選手は四日市市立港中学校に進学しました。
中学時代には、すでに世界を意識したプレーを始めています。
2007年、フランス・エビアンで開催されたジュニア大会の年代別カテゴリー試合で優勝。このとき、アルプス山脈を望む美しい景色に感動し、「世界を舞台に戦いたい」という思いが強くなったといいます。
2008年には、中部オープンローアマで3位入賞。着実に実力を伸ばしていきました。
出身高校|福井工業大学付属福井高等学校・ゴルフ部
高校は、福井県の福井工業大学附属福井高等学校へ進学。ゴルフの強豪校として知られています。
当時のゴルフ部監督である金井理事長は、川村選手のことを「考えずに感覚でできる天才」と評価。まさに天性の才能を持った選手だったことがわかります。
高校時代の主な成績
年度 | 大会名 | 順位 |
---|---|---|
2009 | 日本アマ | 3位 |
2010 | 中部オープンローアマ | 優勝 |
2010 | 中部アマ | 優勝 |
2010 | 全日本パブリックアマ | 優勝 |
2011 | 日本ジュニア | 優勝 |
このように、高校時代から全国レベルで活躍し、プロの道へ進んでいきました。
川村昌弘のストイックな食事管理法
世界を転戦する川村昌弘選手ですが、意外にも体があまり強くないのだそうです。
そのため、体調を整えるために食事を徹底管理しています。
川村昌弘選手の食事ルール
- 小麦製品や砂糖を控える
- 試合中は「野菜・お米・芋・魚」がメイン
- 肉は週1~2回。試合の4日間以外で食べる
この食事法を取り入れた結果、体重が13kg減少。動きのキレが向上し、コンディションが安定したといいます。
最近では、テニスのノバク・ジョコビッチ選手も「グルテンフリー(小麦製品を摂取しない食事法)」で成績を伸ばしたことが話題になりました。
小麦製品を控える食事法は、意識しないと難しいですが、川村選手はストイックに取り組み、成果を出していますね。
川村昌弘のwiki風プロフィールと主な成績
川村昌弘(かわむら まさひろ)選手のプロフィールです。
氏名 | 川村昌弘(Masahiro Kawamura) |
生年月日 | 1993年6月25日 |
出身地 | 三重県桑名市 |
身長 | 172cm |
体重 | 72kg |
ゴルフ歴 | 5歳~ |
プロ転向 | 2011年12月7日(高校3年生) |
川村昌弘選手は2011年にプロ転向し、国内外のツアーで活躍しています。特に、海外転戦を続けるプレースタイルが注目され、「旅人ゴルファー」とも呼ばれています。
川村昌弘選手のプロ転向後の主な成績をまとめてみました。
大会名 | 開催国 | 順位 | |
2023 | マジカル・ケニアオープン | ケニア | 2 |
2021 | ISPSハンダワールド・インビテーショナル | アイルランド | 3 |
2020 | キプロス・ショーダウン | キプロス | 2 |
2019 | ヒーローインディアンオープン | インド | 2 |
2018 | マイナビABCチャンピオンシップ | 日本(兵庫県) | 2 |
2018 | ブリヂストンオープン | 日本(千葉県) | 2 |
2018 | ~全英への道~ミズノオープンatザ・ロイヤルゴルフクラブ | 日本(茨城県) | 2 |
2015 | フジサンケイクラシック | 日本(山梨県) | 3 |
2013 | 三井住友VISA太平洋マスターズ | 日本(静岡県) | 2 |
2013 | アジアパフシフィックパナソニックオープン(※) | 日本(大阪府) | 🏆優勝🏆 |
2012 | つるやオープンゴルフトーナメント | 日本(兵庫県) | 3 |
(※)2013年のアジアパシフィックパナソニックオープンでは「石川遼選手」「松山英樹選手」に続く日本人歴代3位となる20歳96日の年少優勝を飾りました。
川村昌弘のまとめ
今回は、川村昌弘(かわむら まさひろ)選手について紹介しました。
- 三重県四日市市出身
- 小学校時代からゴルフに熱中し、独学でスキルを磨いた
- 中学時代にフランスでの試合を経験し、世界転戦への思いを強くする
- 高校では数々の大会で優勝し、プロの道へ
- 体調管理のため、ストイックな食事法を実践
- エースキャディは「坂井恵さん」というベテランのプロキャディ
幼稚園の時に書いた将来の夢は「冒険家」だったそうです。「地位やお金よりも、世界を回ることを目標にしている」と語る川村昌弘選手。まさに「旅するゴルファー」として、今後の活躍がますます楽しみですね!
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